人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ベテランになりつつある皮膚科医がみた世界。世の皮膚病の患者さんの役に立てれば幸です。08年5月より多忙のためしばらく相談に対する回答をお休みします。


by SkinDr
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

医療責任制限法の必要性

Excite %u30A8%u30AD%u30B5%u30A4%u30C8 : %u653F%u6CBB%u30CB%u30E5%u30FC%u30B9

いろいろな方が医療崩壊の原因について述べているが、現場からみて多くの論点で抜けているのは医療の責任の供給側と需要側の持つ違いである。

交通事故などで病院が訴訟を受けることがある。
単純な論理であるが、事故で大きく傷ついた人間はすでにそれだけで死に近い状態である。救命の可能性を求めて病院を受診するが、救命できないこともある。不幸なことであるが、患者は交通事故の犠牲者であり、医療の犠牲者ではない。

少し難しい話だが、素因減額という考え方がある。

健康な人間が突然病人になる事故とは違い、病院を受診する患者はすでに病気や怪我、即ち健康よりも死に近い状態にある。医療を施せば改善するかもしれないが、そうならないかもしれない。検査や手術、投薬といった医療行為が却って命を縮めるかもしれない。薬害訴訟を取ってみても解る通り、投薬一つですら予想しない副作用があるからである。

ではここで、すでに病気があり医療を行わなければ悪化していく患者に、医療行為を重ねるうちに何らかの医療過失があって(仮に過失があったとして)死亡した場合と、全く病気がない健康な人間がよそ見運転(過失)で跳ねられ死亡した場合とどちらに大きな損害賠償が請求されるべきだろうか。

現在では、驚くべきことに患者を治療している病院の方が遙かに多くの賠償を請求されるのである。多くの医療者はすでに健康が損なわれ、治療の選択の如何に関わらず長期の生存が難しい患者において、健康な人間を死亡させるよりも高額な賠償を要求されることにショックを受ける。東京高裁の藤山裁判長は、患者は医療を受けることによってよくなることを期待する「期待権」が侵害されたとして、同じ年齢の交通事故よりも300万円高額の賠償判決を出している。

病院で亡くなれば、何らかの過失があったとして訴訟を起こし、通常考えられないような賠償金が請求される。「死体換金ビジネス」と揶揄される状態である。

もともと私たち医療者は、医療を施したことのない裁判に裁かれるのに大きな疑問を感じている。ある局面でのある判断が、後日素人から「過失」といわれるようであれば、医療は先に進めないからだ。また、最近よく言われる「説明不足」も、例えば薬の副作用ひとつとっても、日々処方するどの薬でもあらゆることが起こる可能性があり、その全ては有限な時間内に説明は出来ないからだ。

故障した飛行機のパイロットがいたとする。うまく操縦できなくなった飛行機をどうにか軟着陸させた。半数は死亡したが、半数助かった。ブラックボックスが回収されてデータを分析した。解析からは、あと100ft高いところを航行していれば、結果的にもう少し安全に着陸できた可能性があった。死亡した乗客の遺族が損賠を提訴し、数年後、裁判で飛行機を操縦したことのない裁判官が、「無事に到着する期待権を侵害した」と断罪する。これでは飛行機は操縦できない。

判決はいつも後出しである。裁判長や検事や弁護士に電話しても、今の操縦(治療)がいいかどうかは教えてくれない。そして民事裁判の解決は唯一、お金なのである。そうであるとすれば、すでに死の素因がある患者に不幸が起きても、素因減額が行われるべきで、少なくとも、健康な人間を基準にしたよりも高額の賠償はありえない。そうでなければ、医療も、社会倫理も成り立っていかない。

このようなおかしな判決が続くのは、法に大きな不備があるのも一因である。素早く「医療責任制限法」を作らなければ、このまま医療は消えて無くなる。それもごく近い未来に。
by skindr | 2008-02-12 04:04 | 医療政策